コメント

少女は号泣する。

災いは沈黙で表現するしかない、ある瞬間そのような考えに囚われたとしても、肉体はその喪の期間に少しずつ再生へ向かっているのだ。

鹿島田真希(作家)

生者は常に自分自身の物語を紡いで生きざるを得ない。

あの世から見れば、この世が「あの世」であり、常にすぐ近くに共存している。

ヴィヴィアン佐藤(美術家)

坂口香津美の描く海は美しい。本作の舞台である房総の海もまた、黎明とも黄昏ともつかない神話的な無時間のなかで、日差しを波頭に砕きながら悠然とたゆたっ ている。海を前に広がる無人の渚。砂浜を舞台に繰り広げられる無言劇。ふたりは流木を集め、砂を掘る。まるで遺跡を発掘するかのように。

大きな被災体験は、しばしば心の傷をもたらす。

あたかも感謝の捧げ物のように砂浜でバレエを踊る。それは、人と同様に、津波で傷つけられた海との和解ではなかったか。死と再生、そして和解。それこそが再び「物語」を回復するための原初の営みである。

斎藤環(精神科医)

心の奥底から揺り動かされるような深みのある、非常に素晴らしい作品。津波で失った大切な人への思いを抱いた姉妹を描くサイレント映画。淡々と描かれる姉妹 の気持ちの動き、後半でそこに重なってゆく別の思い……。目を離すこともできずに引きずり込む、力強い映像と音楽に、心打たれる思いだつた。 全編に重なる音楽は海野幹雄氏、新垣隆氏の作曲による無調性のチェロとピアノ。映画自身が、極めて現代音楽的だ。セリフ回しによる借り物の物語性(メロ ディー)を排して、言葉によって表現できない気持ちの共有を図る。見る側の気持ちをゆさぶる力強さは、甘えを切り落とした、しかし共感に包まれた、その厳 しくも優しいアングルに由来している。

西原博史(早稲田大学社会科学部長)

震災や、死生観、心のつながりなどと、見る人によって、いろいろな思いを持てる映画である。 映画は完成した後、どんな見方をするのかは鑑賞する人の自由である。 そう思っている私は、この映画の後半から、どんどんそれを体感して、面白くなってきたのです。人の心を考えるとサイレントがむしろリアルさを強くして、娘 たちの泣き叫びや、ピアノ!という嬉々として聞こえた声が、ズシンと心に残る。 そして、最初と最期に使われた手法は、見えているようで見えていない、そんな普通の暮らしに対して、監督が何か問われたのでしょうか、そんなことも考えて しまいました。 この映画は、坂口監督と勝負する気概を持って、万全の体調と楽しもうと言う心を持って鑑賞席に座ってほしい。

尾上正幸(終活アドバイザー/葬祭ディレクター/東京葬祭取締役)

© 2015 シロナガスクジラに捧げるバレエ