Introduction イントロダクション
映画の主舞台である「恵の丘長崎原爆ホーム」は、被爆高齢者のための世界最大規模の特別養護老人ホーム。入居者たちは年に数度、ホームを訪ねて来る小中高生のために「あの夏の日に遭遇した自らの被爆体験」を劇にして上演する。これまで施設内での長期間の撮影が許可されたことはないが、今回、特別に許可された背景には、被爆から60年以上が経過し、入居者も高齢となり、被爆体験を語り継ぐ人も年々亡くなるなか、「今のうちに被爆者の真の姿、声、思いを遺しておきたい」との切実なる思いがある。映画は冒頭、被爆高齢者の祈りを湛える姿を映し出す。1945年8月9日午前11時2分、長崎への原爆投下。崩壊した浦上天堂や純心女子学園など、多くの尊い命が犠牲となった。今を生きる被爆者の記憶と日々の営みのなかに、人間が創り出した核兵器の恐怖と不条理、その犠牲となった人々の苦悩と哀しみが静謐な映像のうちに浮かび上がる。
長崎大学の構内の一角にある被爆者が眠る病理標本保管室。そこには原爆投下直後より米国が調査収集を行ったものも含む5000件の急性被爆症患者の病理標本(臓器)が眠る。本作の撮影終了直後、2011年3月11日、東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所の事故が発生した。被爆と被曝の違いこそあれ、今回の事故を予見するかのように、外部被ばく、内部被ばくの恐怖、そして、核爆発により放出された放射線や放射性物質によって傷ついた遺伝子は生涯にわたってがんになる可能性があることを本作が医学的見地から警告している事実は衝撃的だ。福島原発事故の終息が霧の中の状態にある現在、半世紀以上もの間、原子爆弾や放射能の恐怖や痛みと真正面から向かい合ってきた人々の姿は過酷な状況におかれても尚、崇高であり、且つ畏怖の念さえ感じさせる。こうして被爆地長崎を舞台に過去と現在が交錯する新たな時代を啓示する映像叙事詩が誕生した。
監督は20年間で200本以上のTVドキュメンタリー作品を作り続けて来た異才の映像作家・坂口香津美。劇映画『青の塔』(2000年)、『カタルシス』(2002年)、『ネムリユスリカ』(2011年)など社会の暗部に生きる人々の姿を独自の視点と映像美で表現している。撮影に2 年を要した初のドキュメンタリー映画となる本作の製作の動機には、当時17歳の娘と夫を広島の原爆で亡くし、自らも被爆した亡き大叔母の存在がある。
語りは、映画『キャタピラー』でベルリン国際映画祭最優秀女優賞の寺島しのぶ。被爆という想像を絶する体験を負った人々を包み込むような慈愛に満ちた語り口によって映画は導かれていく。音楽演奏は小澤征爾や佐渡裕といった世界的な音楽家たちが賞賛する注目の16歳のピアニスト小林愛実、国内外のコンクールで優勝の最年少記録を塗り替えている新星、17歳のフルーティスト新村理々愛。将来を嘱望された二人の天才少女の初共演が実現、混沌としたなかにひとすじの希望の光を照らしだす。
太陽と緑にあふれる恵の丘長崎原爆ホームの創設には一人のカトリックのシスター江角ヤス(※映画にも晩年の肖像が登場する)の存在がある。ヤスは原爆投下地点から約1.3㎞のところにあった純心高等女学校の校長として勤務していたが、その瞬間、爆風、熱風、火災によって倒壊・全焼し、214名の殉難学徒(女生徒)・教職員と多数の傷病者を出した。ヤス自身も防火壁の下敷きとなるなど重症を負った。奇跡的に一命を取り留めたヤスは、「私は原爆の後片付けをするために生き残らせていただいた」とその後の生涯を殉難学徒たちの供養のために生きる決心をする。そのヤスが純心女子学園の復興とともに新たに社会福祉事業として創設したのが恵の丘長崎原爆ホームである。創設を決意する直接のきっかけはヤス自身、長崎原爆病院で被爆の精密検査を受けるため入院をしていた折り、原爆孤老たちの実相と厳しい現実を目の当たりにして「原爆孤老たちが安住できる生活の場」つくりを決意する。被爆者ホーム建設にあたり、ヤスが長崎市内から遠隔の地、深い森に覆われた三ツ山にこだわった理由が三点ある。第一は、三ツ山が戦前純心学園の疎開地であり、被爆後は多くの方々の支援によって復興の本拠地になった恵の場所であったこと。第二に、「悪いガスを吸った」と不安がっている被爆者が原爆で癒されるには美しい空気と緑深い豊かな自然環境が必要であったこと、第三に、人間として真理に出会い、また、長期に渡る被爆との闘いを行うためには静かな地が必要であった。
実際に、ヤスは「被爆者ホーム」運営にあたって、次の七点の考えを根幹に置いた。第一に、国家補償の対象施設であること(原爆投下は太平洋戦争に起因するものであり、したがって原爆孤老も原爆が起因している孤老であり、一般の一人暮らしの高齢者とは区別して考えていた)。第二に、「被爆者」のための施設であること。第三に、殉難学徒および原爆犠牲者の供養になるような施設であること。第四に、医療が受けられる生活施設であること。第五に、人生の最期を看取ることが可能な施設であること。第六に、福祉教育に貢献できる施設であること。第七に、核時代に生きる人々にアピールする施設であること等である。かくて、この丘(森)を「恵の丘」と名付け、「荒れた国土に緑の着物を着せましょう」との標語のもとに原爆孤老のための生活ホーム、「恵の丘長崎原爆ホーム」が開設されるのは10年後の1970年4月1日の事である。「被爆者に最良の薬は社会の理解」といい、ヤスは社会の被爆者に対する偏見、差別に対して、それを打破したいとの思いが強く、また、「このホームは平和発信の拠点として反戦・反核を社会に示す役割を担うものである。この世に核兵器のある限り被爆者の声を、生き様を世界に発信しなければならない」と核の時代に社会に影響を与えることができるような世界に二つとないホームにしようと考えていた(2012年7月現在、恵の丘長崎原爆ホームには定員の350名が入居。三木総理以降、時の総理大臣が長崎の平和祈念式典に出席の後に必ず立ち寄る被爆者の聖域でもある)
監督・撮影/坂 口 香 津 美 Katsumi Sakaguchi
早稲田大学中退。これまで若者や家族をテーマに、約200本のTVドキュメンタリーを企画演出プロデュース。
著書に、小説『閉ざされた劇場』(1994年、読売新聞社刊)。
監督作に、映画『青の塔』(00/第34 回ヒューストン国際映画祭コンペティション部門Silver Award 受賞)、『カタルシス』(02)。両作品は日本とドイツで劇場公開。『ネムリユスリカ』は昨年公開 (2011年8月3日オンリー・ハーツよりDVD 発売)。独自のセンセーショナル且つ詩的な映像世界は海外から高い評価を得ている。
本作が、映画では初のドキュメンタリーとなる。 Twitter: @sakatsumi