髙村薫(作家) 

息子が老残の母にカメラを向ける。

目の前で錯乱する母への困惑や絶望を、そうしていったん外部 化しなければ受け止められないほど、息子もまた追い詰められている。伴侶や子どもとの別離が一つまた一つ重なってゆく老年期のこころは、外からはうかがい 知れない襞をもつ。この映画の主人公がそうであるように、その襞はときに荒れ狂い、ときに穏やかに凪ぐ。息子の視線もそのつど揺らぐ。

老いた母と周囲の人びとの4年間を撮り続けた本作品は、最後に「人が生きるとはこういうことだ」というシンプルな覚悟に至る。老母とその妹、息子、それぞれが幸福だった時代の記憶を糧に、いまの孤独や不安をけんめいに乗り切って生きてゆくのである。
人間を丸ごと描いて、何も足さず、何も引かない、静謐ながら実に強い作品だと思う。 

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渡辺真起子(俳優)
 
息 子の目線は、少しユーモラスでありながら、たどたどしく母を見つめていたのではないかなと個人としては、自分が母を見つめた視線と、映画としての視線と、 いろんなものがゴッチャになりながら、それが嫌ではないのですが、妙な心触りで、私もたどたどしく、この作品を見つめることになりました。

  ただ一言、お母さんが、夫であるお父さんのことを「私の愛し方が足りなかった」という後悔の言葉を聞いたとき、自分の物語になったように思ってしまいまし た。そこからは、自分の母や、祖母や、親戚や、同じ境遇とかそんなことでなく、人が生きていく果てといった時間を、愛しく思い、この作品と一緒にいられた ように思います。

 お風呂で、お母さんが、妹さんと、二人で同じ顔して笑った。ただそれだけで温かいぬくもりで心が満たされました。
 
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ハリー杉山(タレント)
 
自 分の母親が娘を亡くし、愛する夫も喪い、絶望と精神的な混乱に陥る。愛する母をどう助けて支えていくべきかと思い、監督は彼女にカメラを向けます。”生命 力”、”愛”、”介護”、それぞれのテーマをもの凄くリアルに生々しく映し出し、悲しさも絶望感もあれば、それを越える愛情に感動しました。

自分が愛する人が病気で倒れ 元の姿ではなくなった時、その人を支える事は簡単ではありません。”昨日できたのに なんで今日はできないの!?””なんでそんな事忘れちゃうの?”、そう僕も父や2年前に亡くなったおばあちゃんに叫んだ事もあります。

そ して出てきた答えは”他者の存在”。この映画の中のお母さん、すちえさんには息子でこの映画の監督の香津美さん、妹のマリ子さんとご家族、故郷の種子島、 そして ヘルパーさんや沢山の方が支えになってました。そうです。”他者の存在”は必須です。一人で介護する事やその方が”そんな姿なんて他人に見せられ るわけない!!”と言っても、他者の存在は精神的にもの凄く支えになります。それはもちろん自分にとっても。

この映画を見て僕は思いまし た。もしばあちゃんが生きてた時にこの映画を見れたら色々違ったかもと。自分だけではない、高齢化社会の日本では沢山こう言う経験をしてる人がいる。そし てこれからも増える。できるだけ多くの方にこの作品をみて、リアリティに衝撃を打たれても、そう言う日がいつか来たら、絶対為になると思います。見るしか ナイスワン!!!!

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斎藤環(精神科医)

僕は本作から、リンゼイ・アンダーソン監督の傑作「八月の鯨」を連想せずにはいられなかった。
姉妹がウミガメの仔を海に放つシーンは象徴的だ。そこには、“生の循環”に対する控え目な賛嘆がある。
そう、たとえ死が近づいた時でさえ、人間は「循環する風土」の中に抱擁されている。 

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野島孝一(映画ジャーナリスト)日本映画ペンクラブ推薦理由として

「抱擁」は坂口香津美監督が自分の年老いた母親を撮り続けた異色のドキュメンタリー映画。

母親が精神的にも肉体的にも回復する姿をカメラに収めていった。

母親 とはいえ、入浴まで撮影するのは勇気がいることだ。プライバシーを冒してまで撮りたかったものは、高齢化時代にだれもが経験する老いに立ち向かう母親であ り周囲の人々の姿だろう。何よりも撮り続ける根気には感服した。

人間は支える人々と環境が何より大事だと教えられた。

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尾上正幸(終活アドバイザー/葬祭ディレクター/東京葬祭取締役)

近親者の死を受け止め、苦しみやがて成長すること、いつの時代にも変わらないこの生命の営みが、時として心の痛みとしてのしかかってきます。

娘 との死別から数年間悲しみを抱え続け、夫の終焉を予感したときそんな主人公の心の痛みは、大きな苦しみとなり、病となってしまったのでしょう。 一番身近な息子に罵声を浴びせても、その苦しみから解放はされません、それを知りつつも、受け止めながらじっと話を聞く息子も、やはりつらく苦しいこと だったでしょう。そして主人公は最愛の夫を失います。

悲 嘆に苦しむすちえさんが求めたのは、妹のまり子さんでした。まり子さんは、時に叱り、時に笑い飛ばしながら、しっかりと寄り添い続けます。 苦しむ人の近くに誰かがいることの大切さと、まり子さんのように誰かのためになれる逞しさも重要でしょう、そして監督のように周囲でそれを見守り続ける苦 しさもあるでしょう。人は一人では生きてゆけない。あらためてそう教えられた思いです。 そして映画は、つらく悲しいばかりではなく、その後の主人公の力強い再生の様子を想像できる、愛と逞しさにあふれるものでした。

現代社会 で「終活」は、自らの心の健康と周囲への愛からなりえるものであり、超高齢化社会に誕生したひとつの生きる知恵だと考えております。 しかしながらそうやって取り組みをしても、近親者の死は大きな苦しみであることに変わりはなく、葬儀をはじめ、ライフエンディングに関わる全ての方が、近 親者死別による心の痛み『悲嘆(グリーフ)』にどう寄り添えるかが重要とも言われています。 自分は何ができるかではなく、理解をすることこそ重要なのです。愛と逞しさに溢れる映画「抱擁」を、真実を垣間見る機会として、多くの方にごらんいただき たいという思いから、コメントを寄せさせていただきました。  

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ヴィヴィアン佐藤(美術家)

仕立て屋なら服で、監督なら映像で…と、様々な武器で戦うといった表現には、腑に落ちました。

最初は母が亡くなるまでの作品かと思いました。「ハゲワシと少女」を撮ったケベンカーターはピューリッツァ賞を受賞しましたが、自殺。作家や報道家としての立場か、倫理的な人道的な立場か、つねに問われる問題です。 カーターは自殺しました。

ミレーの絵のコピーは、最後の種蒔きと呼応します。 この作品自体が現代の種蒔きの図のようになり、様々な作品や当たり前な生き方の指針になっていくのでしょうか…。

だいたい、等身大の日常ドキュメンタリーは、特殊なケースからの普遍性か、普通に見えるケースからの特殊性か、になりますが、この作品はどちらでもありません。

とても珍しいと思います。

作品としての欲のなさ、裏切りのなさ…その透明性、中立性は、プライベート色の強さを強調します。 テーマの奇抜さや撮影や内容の衝撃さを狙わず、作品化する動機自体が、とても現代的、もしくは新しさを感じました。

こういう映像作品もありえるのではないか、プライベートとパブリックの境界の「揺らぎ」そのものが映り込んでおりました。

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水上賢治(映画ライター)ウレぴあ総研2015.4.6号より

“いいこともあれば悪いこともあるこの世の中を、人はどうやって生きていくのか?”。

その命題ともいうべき問いへのひとつの答えがこの作品にはある。

人と人が支えあい、喜びを分かち合い、共に歩むこと。

それをシンプルに伝えるラストシーンを迎えたとき、きっと心が温かな感動に包まれるはずだ。

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西尾佳織(劇団「鳥公園」主宰、劇作家、演出家)

イメージフォーラムで見た『抱擁』というドキュメンタリーがとても良かった。

老いて死がやってきて大事な人たちがいなくなってしまうこと、自分も弱っていくこと、そこに伴う「寂しい」という感情は、絶対に絶対にやってくるんだ、とすごく分かった気がして、それが本当に恐かった。つらいつらい恐いと涙が流れっぱなしで見ていた前半だった。けれど後半には、大きな救いが訪れた。

ずっと、老いや老人や死に強く関心があって、作品を通してそういうことを考えようとしたり、仏教の本を読んで何か知ろうとしたりしていたけれど、全然届いていなかった。人がいなくなっていくことや、自分が老いていくことを、私はこんなに恐れていたのか、と今まで知らなかった。

ドキュメンタリーって、映っている素材は「本当に起こったこと」だけど、それを作品という形に構築する部分にすごく作り手の意志がある、と改めて思った。「人は回復できる」というところに向かおうとする意志を感じた。それ(回復)が実際に起こったから、撮れているわけだけど。

「孤独死」と言うときの孤独(無縁社会的な、誰もいない孤独)について考えることが多かったけれど、大事な人がいたのがいなくなってしまった喪失の孤独の方が、人を壊すのかもしれない。それでも人の中にいれば、喪失の孤独も乗り越えられる、と監督が上映後のトークでお話しされていた。すちえさんとマリ子さん、今は、映画のラストシーンよりもさらにお元気になられているとか。種子島にも行ってみたい。

観た日から、会う人会う人に薦めている。

たくさんの人に観て欲しい。素晴らしい映画をありがとうございます。