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猪狩ともか(仮面女子)

ハンセン病について詳しく知りませんでしたが、映画「凱歌」を見て過去にハンセン病患者がひどい扱いをされていたことを初めて知りました。

「子孫を残してはいけない」と言われたとき、どれだけ辛い想いをしたのだろうと想像するだけで胸が痛くなります。

映画の中で山内さんが言っていた「病気や障害のある人がいて初めて、健常者の人が五体満足であることに感謝できる」という言葉に心を打たれました。生きているだけで、それだけで自分は価値があるのだと思わされました。

また、病気や障害を通じて、優しさや思いやりを後世に伝えていくことの大切さも改めて気付かされました。

この作品に出会えたことに感謝致します。

鹿島田真希(作家)

声の河

「今日はまな板の上で筋切りがあるよ、って言われた時、意味がわからなかったの」と笑うきみ江さん。最愛の夫、定さんが結婚の条件として断種手術を強制された時の思い出である。「当時の私は本当に初だったから」。毎日のように人が死にます、私たちは豚と呼ばれていたんです、麻酔もしないで手術しました。そんな一言一言は、今では声とともに流れていく音の河に溶けてしまった記憶から取り出されたのだろうか。手術の時、筋を引っ張られて、それがあまりにも力強いので、上半身が持ち上がったと定さんは言う。八十代になった彼女は、目の覚めるような艶の髪をショートボブにスタイルしていて、ウィノナ・ライダーのようなさながらである。髪の手入れだけは怠らない、というのが美しさの秘訣である。「お正月になったら、金粉の入ったお酒、看護婦さんに内緒で一口飲もうか?」「ワンカップぐらい飲めるよ」。こんなきみ江さんと定さんの夫婦漫才は観る者をときめかさずにはおかない。ゴダールの「勝手にしやがれ!」顔負けのやり取りはこうして何度も繰り返される。結婚当初、定さんは肝硬変であと四年の命と言われていたが、結局、六十年間の夫婦生活を全うした。残されたきみ江さんには、養子の娘とその婿との間に授かった孫までいる。

 

親友の賢一さんを交えて、思い出話も三人ではずむ。賢一さんは子供の頃、入院した日に、母親が一度も振り向かないので、もうこないかもしれない、と思う。しかし次の日には、もう見舞いに来たので、看護婦に、他の子供の目もあるから、と注意されたが、結局一週間に一回、ついに一ヶ月に一回の見舞いになった。

 

賢一さんは多趣味である。賛美歌のような作風の歌を作詞作曲してはエレクトーンを伴奏に自作自演する。メダカも育てていて、夏祭りになると稚魚を子供に分けてあげるので、近所の人気者だ。そして、リトルリーグにとっても、頼もしい応援者である。

 

きみ江さんは、何でも自分でやりたい十九歳の萌絵ちゃんにグリップ包丁の使い方を教える。リンゴを包丁で切る音、ザク、と響いては、小休止し、そしてまたザクザクザクとリンゴが二つに裂かれていく心地のよい音がする。塩水になげられたされたリンゴは甘く、果肉がしまっている。きみ江さんと萌江ちゃんがほおばると、ぱきっと飛沫を立てて、リンゴの香りが二人の口の中でぱっと広がる。

断種手術の時、上半身がもちあがったという定さんは、筋でつながり連動しているたくましい肉体を持つ体操選手だ。萌絵ちゃんの甘くしゃきしゃきした息づかいは瑞々しく、白くてなめらかだ。エレクトーンを弾き、メダカを育てる賢一さんの声は、つん、と琴線に触れてきて、震えを起こす。そして、おしゃれなきみ江さんからは、鏡の前に押し寄せては、しのぎを削って咲き誇る美しい盛りの女たちの、むっとするような香りが、それでいて乳のような肌の匂いがたちのぼる。

斉藤くるみ(日本社会事業大学教授)

「これじゃ昔の隔離とおんなじねえ。」と明るく元気のよいきみ江さんの声。新型コロナウィルスの感染拡大で大学に来てもらえなくなったきみ江さんにふと電話をしてみた私の携帯に、やさしい笑い声とともに聞こえてきた「隔離」という言葉は私の心に哀しく響いた。この映画の主人公きみ江さんによると、コロナ対策で、全生園内のショッピングセンターも閉鎖、通販で買ったものもナースステーションに一旦留め置き、園外の人との接触も断たれているという。

私が勤める日本社会事業大学は全生園の近所にあり、毎年新入生はまずきみ江さんの講演を聞く。学生たちは「人権意識の欠如した時代に起きた過ち」に驚き、憤る。しかし、ハンセン病の患者・回復者やその家族に対する人権意識の欠如は過去のことなのだろうか。

コロナ禍当初、複数の有名人が感染し、家族に看取られることなく、遺骨となって帰宅したという報道が流れ、日本中が涙した。これほど悲惨な話があるだろうかと。同じ想像性と共感性を持って、強制隔離された何万人というハンセン病の患者さんたちのことを想い、涙した人は一体どれほどいたのだろうか。そんなことを考えているうちに、あれよあれよという間に、現代の日本人の差別意識とエゴ、人権意識の欠如が露呈された。感染者・回復者・接触者・医療関係者に対する嫌がらせが頻発しているではないか。まさに「これじゃ昔の隔離とおんなじ」である。クラスターが発生すると、関係者が「ご迷惑をおかけしました」と謝罪会見を開き、深々と頭を下げる。その姿を見るたびにきみ江さんのお兄様が、妹の罹患を親戚に土下座して謝ったという話を思い出す。

隔離は患者のためではない。患者が隔離で治るわけではない。不運にも感染し、苦しんでいる人を隔離によってさらに苦しめるのは、患者以外の人を守るためである。自分たちのために隔離を強いられている人を差別し、さらに石をぶつける、人間はどこまで残酷なのだろう。物理的隔離は心の隔離を生み、差別意識を掻き立て根絶にまでエスカレートする。

坂口監督との出会いは、ろう者と手話の権利を守る私の活動について話を聞いていただいた時に遡る。実は、音のない言語の美しさを教えてくれたろう者にも強制避妊の被害にあった過去がある。盲腸の手術の時に無断で避妊手術が施されていたろう者もいる。彼らの訴訟は始まったばかりだ。優性思想という障害者に対する心の隔離が根絶政策へとエスカレートしたのである。

人間の本質ともいえる醜く残酷なエゴが故の差別の被害者であるのに、いやそれに打ち勝ったからこそ、優しい思いやりと、豊かな感性に溢れ、すべての生命を愛し、美しい音楽を生み出しながら生き抜くことができた、きみ江さんや中村さんたちの姿を追い続けたこの映画は、それでもなお人は美しい、強い、そして気高い、ということを見事に描き出している。まさに人間の魂の『凱歌』なのである。

斎藤環(精神科医)

「生殖権」の回復のために

ハンセン氏病を題材とした映画は多くない。すぐに思い浮かぶのは樹木希林主演で話題となった映画「あん」(2015)だが、映画の背景として登場する作品を含めても、「砂の器」や「もののけ姫」くらいしか思い浮かばない。

 

本作の舞台は多摩全生園。映画「あん」の撮影がなされた施設であり、古くは北條民雄の小説「いのちの初夜」の舞台でもある。この小説で主人公の尾田は、ハンセン氏病の診断を受けて施設に送り込まれ、いきなり裸にされて消毒液らしき湯が入った浴槽に入るよう指示される。ただ病気に罹患しただけでここまで屈辱的な扱いを受けるのだ。

 

本作「凱歌」の冒頭で語られる高齢女性の証言はさらに衝撃的だ。彼女は全生園で出産をしたが、子どもは生後すぐ職員の手で殺されたというのだ。殺された多くの子どもはホルマリン漬けにされ保管されていたという。そうしたことの一切が、合法的に強制されていた時代がかつてあったということ。

 

ハンセン氏病の歴史は日本の暗部だ。患者の隔離政策は全世界でなされていたが、1941年にアメリカで特効薬プロミンが使用されるようになってから、隔離政策は次第に衰退していった。にもかかわらず、日本では1931年から強制隔離政策が開始されている。そればかりではない。当時勃興しつつあった優生思想の観点から、ハンセン病患者は断種手術が強制された。本作に登場する山内定さん、きみ江さん夫妻は、結婚を認める条件として二人とも断種手術を受けさせられ、子を持つことができなかった。

感染症対策に断種をするなどという二重三重に間違った行為がなにゆえにありえたのか? そこにあるのは徹底した排除の思想だ。見たくないものを隔離し、排除するという発想は、現在もあらゆる障害に対して向けられている。1996年にらい予防法が廃止されたにもかかわらず、1450人もの患者が療養所で生活しているのが何よりの証左だ。患者の社会復帰を阻む要因は、高齢ばかりではない。いまなお残る差別や偏見が、見えない壁となっている。

 

本作が描くのはハンセン病患者が経験した差別の悲劇だけではない。彼らの「生」と「性」にこれほど肉薄した作品は過去に例がないのではないか。饒舌に語るきみ江さんは神経麻痺のために口を閉じられず、瞬きもできない。指の欠損はおそらく廃用性のものであろう。定さんが経験した筋切り(断種)のシーンの克明な描写は医療者として聞くに堪えない。人は「正義」を背景にすると、人に対して、ここまで残酷になれるものか。

最後に近い場面で、きみ江さんは障害を持つ若者たちに「結婚しなさい、子どもを産みなさい」と励ます。年長者のやりがちな結婚の勧めではない。それは、剥奪されたものだけがなしうる「生殖権の行使」の勧めだ。生殖は基本的人権であり、だからこそ「障害があるものこそ子どもを遺すべき」と彼女は主張する。地獄を見たものだけがなしうる過激な主張。そこに込められた想いを、簡単に理解してはならない。ここにおいて試されているのは、私やあなたの「反差別」がどれほど真正のものか、なのだから。

福岡伸一(生物学者・『生物と無生物のあいだ』著者)

生まれてくるべきでない命はなく、生きるに値しない命もない。これが人間をして、人間たらしめる基本的理念である。にもかかわらずこの映画を見ると、私たちはまだまだ道半ばであることを思い知る。優生思想や差別感情にからめとられてはならない。「凱歌」を応援・推薦します。