2020年11月28日(土)シアター・イメージフォーラム(東京)ほか全国順次公開

全国公開をめざし、クラウドファンディングを実施中(2021年1月14日まで)こちら

人形

坂口香津美 監督作品
Directed by Katsumi SAKAGUCHI

2020年/90分/ドキュメンタリー/4K/カラー/16:9
製作・配給:株式会社スーパーサウルス

2020年11月28日(土)
シアター・イメージフォーラム(東京)ほか全国順次公開

全国公開をめざし、クラウドファンディングを実施中(2021年1月14日まで)こちら

Trailer
予告編

Introduction
イントロダクション

差別と偏見は、なぜ繰り返されるのか?
東京都東村山市にある国立療養所多磨全生園を舞台に、国による非人道的な終身隔離政策により、強制的に入所させられたハンセン病の元患者の人々を9年間撮影したドキュメンタリー映画。

国立療養所多磨全生園

-本作の主人公、
山内きみ江さんの言葉-

ハンセン病になったことで、「きたない」、「うつる」と、差別を浴びせられました。療養所では、井戸に飛び込むなど、ハンセン病を苦に次々と命を断つ人々の姿がいました。
「おれと四畳半に行ってくれないか」
そんなある日、一人の男性の患者さんからプロポーズを受けました。「四畳半」とは、夫婦で暮らす部屋のこと。「結婚してください」という意味です。
療養所での先が見えない未来、生きていても何の楽しみもない、自分から求めて幸せをつかむ勇気もない……、そんな彼が30歳を過ぎて、私と出会い、愛を告白したのです。
私は、彼の純真さに惹かれ、彼を信じて、彼との結婚を決意しました。「彼の命は持って4年……」と彼の担当医は私に言いましたが、私の決意は揺るぎませんでした。
今日まで私が生きて来られたのは、同じ病を背負う者同士の結婚と、子どもを作れなくてもお互いに慈しみ、痛みを分かち合えたこと。それなしに、私の今の幸福はあり得ません。
(2020.9.24電話にて)

-映画の内容-

東京都東村山市にあるハンセン病患者の収容施設、「国立療養所 多磨全生園」は、入所者が植えた森のなかにある。
 ハンセン病患者を祀(まつ)った納骨堂には、連日、花を手向ける人の姿が絶えない。
 ある朝、元ハンセン病患者の中村賢一(なかむら けんいち)さんは、足の不自由な高齢者の女性を車椅子に載せて、納骨堂にやって来た。
 若い日、院内で、強制的に堕胎手術をさせられた経験を持つ女性は、今も怒りと悲しみに体をふるわせます。
「強制堕胎手術は、今なら殺人ですよ」と。
 中村さんは入所した当初から、元ハンセン病患者の山内定(やまうち さだむ)さん、きみ江さん夫妻と半世紀以上、親交を重ねて来た。

三人は老境に入った今、かつてこの収容所内で行われていた凄惨且つ呪しき事実を、その実態を自ら明らかにせずには死ねない、との強い共通の思いを抱いていた。
 きみ江さんは22歳で同収容所に入所して10ヶ月後、同じハンセン病を患う定さんと知りあい、院内で結婚した。
 院内での結婚の条件は、夫となる男性が断種手術を受けることだった。
 半世紀を経て、定さんの口から初めて語られる、結婚直後の断種手術当日の様子……。
 告白した日から半年後、定さんは永眠する。
 ハンセン病に罹患したことで、自らに与えられた人生の意味とは、使命とは何か。
 それを探すために、より強く生きるために、きみ江さんの新たな挑戦が始まった……。

-映画に出演されたハンセン病の元患者のみなさん-

●山内きみ江さん(現在86歳)、定さん(2010年、86歳で逝去)夫妻

きみ江さんは1934年、静岡県藤枝市の農家の9人兄弟の3女として生まれた。
 10歳の頃、手と足にしびれを感じるようになり、血がにじむまでつねられても痛みを感じない、らい病の初期症状が現れた。
 1957年、21歳の時、地元の病院でらい病を告知され、三日後に多磨全生園に入所。
 療養所に入所して10ヶ月後、同じハンセン病の患者で「肝硬変で余命4年」と医師に告げられた山内定(さだむ)さんと出会い、結婚を決意する。
 定さんは1926年、島根県江津市の酒屋の5人兄弟の次男として生まれ、18歳で入所。きみ江さん23歳、定さん31歳。
 しかし、院内でハンセン病の患者同士が結婚するには、男性は「断種手術」を受けるのが条件だった。

●中村賢一さん(現在84歳)

11歳の時、故郷の茨城県でハンセン病と診断され、多磨全生園に強制的に入所させられた。
「入所の日、付き添いの母は平静を装っていましたが、背中は震えていました。ぼく一人を残し、園を立ち去る母は、一度もぼくのほうを振り返りませんでした。入所してからぼくは涙を流さない日はありませんでした。園内でも、多くの入所者が絶望のあまり、自ら命を断っているのを何度も目撃しました」
中村さんは、入所から3ヶ月過ぎた頃、開発された治療薬の試験投与を受けると、口元に後遺症は残ったものの、病状は止まった。
 院内の中学を卒業後、退所するも、近所の目をはばかって母親と暮らすことはかなわず、病のことをひた隠し、がむしゃらに働いた。
「絶対に結婚はしてはいけない」と繰り返し言った母は、脳溢血で亡くなる。
 その後、中村さんは結婚をし、子供にも恵まれた。
 しかし、再び、仲間が眠る多磨全生園に戻った。
 中村さんは、毎朝、多磨全生園の樹林のなかにある納骨堂に参拝する。生前、郷里に帰れず無念の死を遂げた多くの入所者たちがここには眠っているのだ。
 納骨堂前面には、「倶會一處」(倶会一処(くえいっしょ))と刻印がなされている。「あの世で、また出会い、同じ処で暮らせる」という意味だ。
「ぼくも死んだら、この納骨堂に入ります」
 中村さんは自分が死んだ後、仲間と会えるのを楽しみにしているという。

●佐川修さん(2018年、86歳で逝去)

元国立ハンセン病療養所「多磨全生園」入所者自治会前会長(2006年-2017年) 1945年、東京大空襲で大やけどを負って病院に行った際にハンセン病と診断され、終戦の約5カ月前、14歳で群馬県草津町の栗生楽泉園(くりうらくせんえん)に強制収容された。
入所日の朝、母親に「この病気になると何もいいことがないから死んだほうがいい」と言われたという。
同園では、「反抗的」とされた患者を拘束する懲戒施設「重監房」で食事を運ぶ係をした。
園で知り合った女性と結ばれたが、当時のハンセン病療養所で出産は許されず、おなかに宿った子供は堕胎させられた。
その後、夫婦で多磨全生園に移り、1990年代以降、強制隔離政策で受けた被害と人権の大切さを伝える語り部として講演を続けた。
同時に、隔離の歴史を語り継ぐハンセン病資料館の建設に奔走。
また、入所者が長い時間をかけて植えた柊(ひいらぎ)の森を、「人権の森」として全生園を残すよう訴えた。
2014年、人権侵害の象徴として楽泉園に「重監房資料館」がつくられた際、当時を知る数少ない証人として復元に貢献した。
自宅に近い全生園や資料館を訪れ、佐川さんから話を聞いたことが、映画「もののけ姫」にハンセン病患者を登場させるきっかけとなったという映画監督の宮崎駿さんは、一周忌を迎えた2019年1月、ハンセン病資料館映像ホールで「佐川修さんとハンセン病資料館」と題する講演会を開き、涙ながらに在りし日の佐川さんを偲んだ。

Director's note
ディレクターズノート

坂口香津美(監督)

1998年の秋のことでした。
テレビのドキュメンタリー番組で、北海道に山村留学をする12歳の少年を取材することになり、初めて訪ねた少年の自宅の家の窓一面に緑の森が広がっていました。
その森は、国立療養所多磨全生園で、両親はともにそこでスタッフとして働いているというのです。
その時、ぼくは少年の父親から、全生病院(多磨全生園の前身)で、二十四歳で夭折したハンセン病の作家、北條民雄のことを聞きました。
その作家に関心を持ったぼくは、「定本北條民雄全集」を購入しましたが、ぺージを開いたのは10年後の2008年5月のことでした。
 当時、ぼくの母は、長女(ぼくの妹)を亡くし、精神安定剤を必要とする生活を送っていました。「近くに越して来て欲しい」という両親の希望で、ぼくは杉並区のアパートを引き払い、両親の住む埼玉県のURの団地の別棟に転居しました。
 転居した夜、引っ越しの段ボール箱を整理していて偶然、「定本北條民雄全集」が目に入ったのです。「いのちの初夜」、「癩院受胎」、「吹雪の産声」と、癩(らい)院(多摩全生園)を舞台にした北條民雄の一連の小説を読み進むうちに、ハンセン病の患者たちの追いつめられた姿が、精神的な混乱を来してのたうちまわる老いた母の姿とどこか重なるのを感じました。
 2009年11月、ぼくはビデオカメラを手に多磨全生園で撮影を始め、撮影が終わったのは、9年後の2019年5月のことでした。

人はいかなる厳しい環境や苦境に置かれても、他者を愛すること、自分を信じること、この二つの事を忘れなければ、生き抜くことができる。

撮影を通して、そのことをぼくは学んだ気がします。

山内きみ江さんと坂口香津美(監督)、多磨全生園にて。

About Hansen’s Disease
ハンセン病とは?

●ハンセン病と強制終生隔離政策

国は1907年、「らい予防」を公布し、その遂行のために療養所という名の強制収容所が全国に作られた。所長に警察権が与えられ、所内に監房があるという、欧米にもない、類稀れな「療養所」が明治、大正、昭和と存在し続けた。
「親族の危篤、死亡、り災その他特別の事情がある場合であって、所長が、らい予防上重大な支障を来たすおそれがないと認めて許可したとき以外は、国立療養所から外出してはならない」(らい予防法第十五条)とあるように、「らい予防法」は、入所の規定はあっても退所の規定はない、強制終生隔離政策だった。
そのため、収容所内では自殺者が絶えず、反抗的であったり、秩序を乱すと判断された患者は、規則により「患者を重罰に処すための監房」に送致され、死に至らしめられたケースもあった。

●ハンセン病と治療薬

ハンセン病は、らい菌が皮膚や末梢神経を侵し、進行すると顔面や手足の変形や欠損といった後遺症もあるが、感染力は微弱である。
治療薬については1941年、アメリカで化学療法薬プロミンの有効性が報告され、1948年、国産プロミンの効果が次々と発表され、薬で完治することが判明したにも拘わらず、国は様々な理由から医学的な根拠を軽視し、世界のハンセン病対策の潮流に逆行する隔離政策を、1996年4月1日法律が廃止されるまで続けた。

●国立療養所多磨全生園

明治の末、「お山の監獄」と土地の人から呼ばれた小らい院「第一区連合府県立全生病院」が、太平洋戦争勃発の年、国立に移管し、「国立癩療養所多磨全生園」に。開院以来、8141人のハンセン病患者が、永い患苦の年月を積み上げて来た。
同園を舞台にした小説「いのちの初夜」の作家北條民雄や詩人志木逸馬も入所していた。
現在も、私たちの社会にはハンセン病患者や家族への偏見・差別が色濃く残っており、そのため元患者(回復者)の社会的復帰は容易ではなく、晩年を迎えてもなお、大半は園内の施設に留まり続けている。
2020年8月1日現在、同園の入所者数は、139人(男63人、女76人)で、平均年齢86.8歳(同園入所者自治書記室調べ)

●結婚と断種と堕胎

ハンセン病の患者は、故郷を追われ、病院とは名ばかりの収容所に強制的に入所させられた。
らい予防法は、患者への強制的な不妊手術や堕胎を合法化する法律で、本作の舞台である東京都東村山市の全生病院(1909年開院の現・多磨全生園)を含む全国の療養所で、1915年以降、院内結婚の条件として男性には断種手術が行われ、妊娠した女性には堕胎手術が行われた。
全国の収容所でハンセン病患者に対して行った強制不妊手術の件数は、戦後、記録に残っているだけでも、男女合わせて1500件以上、人工妊娠中絶は7500件以上にのぼる。

参考資料 多磨全生園入所者自治会編「倶会一処(くえいっしょ)」

-ハンセン病についての一問一答-

国立感染症研究所ハンセン病研究センター提供

●ハンセン病(Hansen’s disease, Leprosy)はどんな病気ですか?

抗酸菌の一種であるらい菌による感染症で、皮膚と末梢神経の病気です。皮疹は痒みが無く、知覚(触った感じ、痛み、温度感覚など)の低下などを認め、気づかないうちにケガやヤケドなどを負うこともあります。また運動の障害を伴うこともあります。診断や治療が遅れると、主に指、手、足等に知覚マヒや変形をきたすことがあります。有効な抗ハンセン病薬がなかった時代(1940年代まで)には四肢や顔面などの変形が重度になったこと等で, 患者や家族は偏見や差別を受けてきました。患者および病気に対する誤解や偏見・差別は、現在でも完全には解消されたとはいえず、ハンセン病は社会との関係を抜きにしては本質を理解することはできません。

●感染するのですか?

感染し発病することは稀です。乳幼児期に多量かつ頻回にらい菌を口や鼻から吸い込む以外まず発病しません。日本において感染源になる人は殆どいません。もちろん遺伝はしません。

●日本にも患者はいるのですか?

います。最近の新規患者数は、毎年約数名(日本人:数名、在日外国人:数名)ですが、らい菌を大量に排出している人はいません。今後患者が増加することはありません。

●どこでどうやって診察しているのですか?

皮膚科で診療を受ける人がほとんどです。他の病気と同じように保険診療の適応になっています。

●治療はどうするのですか?

抗菌薬を内服します。ハンセン病は治る病気ですが、早期診断、早期治療、確実な内服を心がけ、後遺症を残さず耐性菌を作らないようにすることが大事です。

●ハンセン病療養所にはまだ患者さんがいるのですか?

全国13ある国立ハンセン病療養所には, ハンセン病は治癒しているが後遺症や高齢化, 家族と疎遠, などのため約1,450名(平均年齢85歳)が入所している。後遺症による身体障害や加齢も加わって、介護を必要とする人が多くいます。

●世界の状況は?

世界には年間約22万人の新規患者がいます。インド、ブラジル、インドネシア、ナイジェリア、エチオピアなどに多くの患者がいます。

Cast & Staff
キャスト & スタッフ

出演:山内きみ江 山内定 中村賢一 斉藤くるみ 中島萌絵 佐川修 国立療養所多磨全生園のみなさん 日本社会事業大学斉藤ゼミの学生のみなさん
監督・撮影・編集:坂口香津美
プロデューサー・編集:落合篤子
ハンセン病監修:斉藤くるみ(日本社会事業大学)
MA・選曲・音響監督:山下博文
撮影協力:国立療養所多磨全生園、多磨全生園入所者自治会(佐川修)、多磨全生園入所者自治会書記室、全国ハンセン病療養所入所者協議会(神美知宏)、日本社会事業大学、日本社会事業大学聴覚障害学生教育支援プロジェクト室
協力:国立ハンセン病資料館、サイト、クリーク・アンド・リバー社(中島晃、橿渕稔樹、島本圭之)、Motiongallery(大高健志)、伊藤書道塾-崑崙館-、映像テクノアカデミア(鈴木吉昭)
Special thanks(五十音順):いちのせのりお、伊東 郁乃、ぐみ、高橋毅、谷原和憲、長谷川敏行、羽関チエコ、平石渚、堀本実花、町田義三
機材協力:レンタルスクエア(小松豊)
資料提供:国立感染症研究所ハンセン病研究センター
カラーコレクション:落合賢治 
本編日本語題字:極上玄圃
宣伝ビジュアルデザイン:阿津侑三 
ウェブサイト制作:丹羽理
英語字幕:中張有紀子
製作・配給:株式会社スーパーサウルス

監督・坂口香津美

(プロフィール)

家族や思春期の若者を主なテーマに約200本のドキュメンタリー番組などTV番組を企画制作。
「NNNドキュメント08 血をこえて~我が子になったきみへ」(ギャラクシー賞08年7月度月間賞受賞)、「NNNドキュメント10 かりんの家~親と暮らせない子どもたち」(日本テレビ年間賞・優秀賞)、「テレメンタリー ひとつ屋根の下で~もうひとつの学校『はじめ塾』」(テレビ朝日年間優秀賞)ほか多数。
2000年、制作プロダクション・株式会社スーパーサウルスを設立。
2015年度文化庁映画賞受賞のドキュメンタリー映画「抱擁」ほか、これまで7本の監督作品を劇場公開。「ネムリユスリカ」以降の作品では撮影も手がける。
著書に小説「閉ざされた劇場」(1994年、読売新聞社刊)
株式会社スーパーサウルスHP

(フィルモグラフィー)

  • ●『青の塔』
    ひきこもりの青年の自立への目覚め。
    2001/ヒューストン映画祭シルバーアワード受賞。
  • ●『カタルシス』
    殺人を犯した少年の罪との出会い。
    2002/ミュンヘン国際映画祭、ウィーン国際映画祭正式出品
    /音楽 池辺晋一郎/出演・ヴァイオリン演奏 神尾真由子(チャイコフスキーコンクール優勝)
  • ●『ネムリユスリカ』
    性犯罪被害者の少女の17年後。
    2011/ロッテルダム国際映画祭正式出品
    /出演・ピアノ演奏 小林愛実(ショパンコンクールファイナリスト)
  • ●『夏の祈り』
    被爆地長崎の希望を描くドキュメンタリー。
    2012/語り 寺島しのぶ
    ピアノ演奏 小林愛実(ショパンコンクールファイナリスト)、フルート演奏 新村理々愛
  • ●『抱擁』
    実母の老いにカメラを向けたドキュメンタリー映画。
    2014年東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門正式出品
    2015年度文化庁映画賞文化記録映画部門優秀賞
  • ●『シロナガスクジラに捧げるバレエ』
    津波で家族を失った幼い姉妹の7日間。
    2015/音楽 海野幹雄・新垣隆。
  • ●『曙光』
    自殺未遂者を保護、救出する女性と家族の物語。
    2018/主演 黒沢あすか
  • ●『海の音』 2021年公開予定
    海辺の子どもホスピスを舞台にした3人の少女たちの心の旅。

Comment
コメント

猪狩ともか(仮面女子)

ハンセン病について詳しく知りませんでしたが、映画「凱歌」を見て過去にハンセン病患者がひどい扱いをされていたことを初めて知りました。
「子孫を残してはいけない」と言われたとき、どれだけ辛い想いをしたのだろうと想像するだけで胸が痛くなります。
映画の中で山内さんが言っていた「病気や障害のある人がいて初めて、健常者の人が五体満足であることに感謝できる」という言葉に心を打たれました。生きているだけで、それだけで自分は価値があるのだと思わされました。
また、病気や障害を通じて、優しさや思いやりを後世に伝えていくことの大切さも改めて気付かされました。
この作品に出会えたことに感謝致します。

鹿島田真希(作家)

声の河
「今日はまな板の上で筋切りがあるよ、って言われた時、意味がわからなかったの」と笑うきみ江さん。最愛の夫、定さんが結婚の条件として断種手術を強制された時の思い出である。「当時の私は本当に初だったから」。毎日のように人が死にます、私たちは豚と呼ばれていたんです、麻酔もしないで手術しました。そんな一言一言は、今では声とともに流れていく音の河に溶けてしまった記憶から取り出されたのだろうか。手術の時、筋を引っ張られて、それがあまりにも力強いので、上半身が持ち上がったと定さんは言う。八十代になった彼女は、目の覚めるような艶の髪をショートボブにスタイルしていて、ウィノナ・ライダーのようなさながらである。髪の手入れだけは怠らない、というのが美しさの秘訣である。「お正月になったら、金粉の入ったお酒、看護婦さんに内緒で一口飲もうか?」「ワンカップぐらい飲めるよ」。こんなきみ江さんと定さんの夫婦漫才は観る者をときめかさずにはおかない。ゴダールの「勝手にしやがれ!」顔負けのやり取りはこうして何度も繰り返される。結婚当初、定さんは肝硬変であと四年の命と言われていたが、結局、六十年間の夫婦生活を全うした。残されたきみ江さんには、養子の娘とその婿との間に授かった孫までいる。
親友の賢一さんを交えて、思い出話も三人ではずむ。賢一さんは子供の頃、入院した日に、母親が一度も振り向かないので、もうこないかもしれない、と思う。しかし次の日には、もう見舞いに来たので、看護婦に、他の子供の目もあるから、と注意されたが、結局一週間に一回、ついに一ヶ月に一回の見舞いになった。
  賢一さんは多趣味である。賛美歌のような作風の歌を作詞作曲してはエレクトーンを伴奏に自作自演する。メダカも育てていて、夏祭りになると稚魚を子供に分けてあげるので、近所の人気者だ。そして、リトルリーグにとっても、頼もしい応援者である。
きみ江さんは、何でも自分でやりたい十九歳の萌絵ちゃんにグリップ包丁の使い方を教える。リンゴを包丁で切る音、ザク、と響いては、小休止し、そしてまたザクザクザクとリンゴが二つに裂かれていく心地のよい音がする。塩水になげられたされたリンゴは甘く、果肉がしまっている。きみ江さんと萌絵ちゃんがほおばると、ぱきっと飛沫を立てて、リンゴの香りが二人の口の中でぱっと広がる。
断種手術の時、上半身がもちあがったという定さんは、筋でつながり連動しているたくましい肉体を持つ体操選手だ。萌絵ちゃんの甘くしゃきしゃきした息づかいは瑞々しく、白くてなめらかだ。エレクトーンを弾き、メダカを育てる賢一さんの声は、つん、と琴線に触れてきて、震えを起こす。そして、おしゃれなきみ江さんからは、鏡の前に押し寄せては、しのぎを削って咲き誇る美しい盛りの女たちの、むっとするような香りが、それでいて乳のような肌の匂いがたちのぼる。

斉藤くるみ(日本社会事業大学教授)

凱歌に寄せて
「これじゃ昔の隔離とおんなじねえ。」と明るく元気のよいきみ江さんの声。新型コロナウィルスの感染拡大で大学に来てもらえなくなったきみ江さんにふと電話をしてみた私の携帯に、やさしい笑い声とともに聞こえてきた「隔離」という言葉は私の心に哀しく響いた。この映画の主人公きみ江さんによると、コロナ対策で、全生園内のショッピングセンターも閉鎖、通販で買ったものもナースステーションに一旦留め置き、園外の人との接触も断たれているという。
私が勤める日本社会事業大学は全生園の近所にあり、毎年新入生はまずきみ江さんの講演を聞く。学生たちは「人権意識の欠如した時代に起きた過ち」に驚き、憤る。しかし、ハンセン病の患者・回復者やその家族に対する人権意識の欠如は過去のことなのだろうか。
コロナ禍当初、複数の有名人が感染し、家族に看取られることなく、遺骨となって帰宅したという報道が流れ、日本中が涙した。これほど悲惨な話があるだろうかと。同じ想像性と共感性を持って、強制隔離された何万人というハンセン病の患者さんたちのことを想い、涙した人は一体どれほどいたのだろうか。そんなことを考えているうちに、あれよあれよという間に、現代の日本人の差別意識とエゴ、人権意識の欠如が露呈された。感染者・回復者・接触者・医療関係者に対する嫌がらせが頻発しているではないか。まさに「これじゃ昔の隔離とおんなじ」である。クラスターが発生すると、関係者が「ご迷惑をおかけしました」と謝罪会見を開き、深々と頭を下げる。その姿を見るたびにきみ江さんのお兄様が、妹の罹患を親戚に土下座して謝ったという話を思い出す。
隔離は患者のためではない。患者が隔離で治るわけではない。不運にも感染し、苦しんでいる人を隔離によってさらに苦しめるのは、患者以外の人を守るためである。自分たちのために隔離を強いられている人を差別し、さらに石をぶつける、人間はどこまで残酷なのだろう。物理的隔離は心の隔離を生み、差別意識を掻き立て根絶にまでエスカレートする。
坂口監督との出会いは、ろう者と手話の権利を守る私の活動について話を聞いていただいた時に遡る。実は、音のない言語の美しさを教えてくれたろう者にも強制避妊の被害にあった過去がある。盲腸の手術の時に無断で避妊手術が施されていたろう者もいる。彼らの訴訟は始まったばかりだ。優性思想という障害者に対する心の隔離が根絶政策へとエスカレートしたのである。
人間の本質ともいえる醜く残酷なエゴが故の差別の被害者であるのに、いやそれに打ち勝ったからこそ、優しい思いやりと、豊かな感性に溢れ、すべての生命を愛し、美しい音楽を生み出しながら生き抜くことができた、きみ江さんや中村さんたちの姿を追い続けたこの映画は、それでもなお人は美しい、強い、そして気高い、ということを見事に描き出している。まさに人間の魂の『凱歌』なのである。

斎藤環(精神科医)

「生殖権」の回復のために
ハンセン氏病を題材とした映画は多くない。すぐに思い浮かぶのは樹木希林主演で話題となった映画「あん」(2015)だが、映画の背景として登場する作品を含めても、「砂の器」や「もののけ姫」くらいしか思い浮かばない。
本作の舞台は多摩全生園。映画「あん」の撮影がなされた施設であり、古くは北條民雄の小説「いのちの初夜」の舞台でもある。この小説で主人公の尾田は、ハンセン氏病の診断を受けて施設に送り込まれ、いきなり裸にされて消毒液らしき湯が入った浴槽に入るよう指示される。ただ病気に罹患しただけでここまで屈辱的な扱いを受けるのだ。
本作「凱歌」の冒頭で語られる高齢女性の証言はさらに衝撃的だ。彼女は全生園で出産をしたが、子どもは生後すぐ職員の手で殺されたというのだ。殺された多くの子どもはホルマリン漬けにされ保管されていたという。そうしたことの一切が、合法的に強制されていた時代がかつてあったということ。
ハンセン氏病の歴史は日本の暗部だ。患者の隔離政策は全世界でなされていたが、1941年にアメリカで特効薬プロミンが使用されるようになってから、隔離政策は次第に衰退していった。にもかかわらず、日本では1931年から強制隔離政策が開始されている。そればかりではない。当時勃興しつつあった優生思想の観点から、ハンセン病患者は断種手術が強制された。本作に登場する山内定さん、きみ江さん夫妻は、結婚を認める条件として二人とも断種手術を受けさせられ、子を持つことができなかった。
感染症対策に断種をするなどという二重三重に間違った行為がなにゆえにありえたのか? そこにあるのは徹底した排除の思想だ。見たくないものを隔離し、排除するという発想は、現在もあらゆる障害に対して向けられている。1996年にらい予防法が廃止されたにもかかわらず、1450人もの患者が療養所で生活しているのが何よりの証左だ。患者の社会復帰を阻む要因は、高齢ばかりではない。いまなお残る差別や偏見が、見えない壁となっている。
本作が描くのはハンセン病患者が経験した差別の悲劇だけではない。彼らの「生」と「性」にこれほど肉薄した作品は過去に例がないのではないか。饒舌に語るきみ江さんは神経麻痺のために口を閉じられず、瞬きもできない。指の欠損はおそらく廃用性のものであろう。定さんが経験した筋切り(断種)のシーンの克明な描写は医療者として聞くに堪えない。人は「正義」を背景にすると、人に対して、ここまで残酷になれるものか。
最後に近い場面で、きみ江さんは障害を持つ若者たちに「結婚しなさい、子どもを産みなさい」と励ます。年長者のやりがちな結婚の勧めではない。それは、剥奪されたものだけがなしうる「生殖権の行使」の勧めだ。生殖は基本的人権であり、だからこそ「障害があるものこそ子どもを遺すべき」と彼女は主張する。地獄を見たものだけがなしうる過激な主張。そこに込められた想いを、簡単に理解してはならない。ここにおいて試されているのは、私やあなたの「反差別」がどれほど真正のものか、なのだから。

福岡伸一(生物学者・『生物と無生物のあいだ』著者)

生まれてくるべきでない命はなく、生きるに値しない命もない。これが人間をして、人間たらしめる基本的理念である。にもかかわらずこの映画を見ると、私たちはまだまだ道半ばであることを思い知る。優生思想や差別感情にからめとられてはならない。「凱歌」を応援・推薦します。

Theater
劇場情報

《 関東 》

シアター・イメージフォーラム
東京
2020年11月28日(土)〜

http://www.imageforum.co.jp/theatre/

東京都渋谷区渋谷2-10-2

Tel: 03-5766-0114

《 東海 》

名古屋シネマテーク
愛知
2021年陽春

http://cineaste.jp/

愛知県名古屋市千種区今池1-6-13
今池スタービル2F

Tel: 052-733-3959

《 関西 》

京都シネマ
京都
2021年2月5日(金) 〜 2月11日(木)

https://www.kyotocinema.jp

京都府京都市下京区烏丸通り四条下ル水銀屋町620
COCON烏丸3F

Tel: 075-353-4723

《 関西 》

シネ・ヌーヴォ
大阪
2021年陽春

http://www.cinenouveau.com/

大阪府大阪市西区九条1-20-24

Tel: 06-6582-1416